太平記の成立と作者
作者・成立時期は不詳であるが、今川貞世の『難太平記』に法勝寺の恵珍上人(円観)が足利直義に三十余巻を見せたとの記事があり、14世紀中ごろまでには後醍醐天皇の崩御が描かれる巻21あたりまでの部分が円観、玄慧など足利幕府との密接な関わりを持つ知識人を中心に編纂されたと考えられている。これが小島法師(児島高徳と同一人物か?)などの手によって増補改訂されてゆき、1370年ころまでには現在の40巻からなる太平記が成立したと考えられている。室町幕府3代将軍足利義満や管領細川頼之が修訂に関係していた可能性も指摘されている。
一貫して南朝よりであるのは、南朝側の人物が書いたとも南朝方への鎮魂の意味があったとも推測されている。また、「ばさら」と呼ばれる当時の社会風潮や下剋上に対しても批判的に書かれている。
全40巻。現存流布本で全40巻だが、16世紀の時点で巻22は既に欠落しており、前後の巻より素材を抜き出して補完しているものと考えられている。内容は3部構成で、後醍醐天皇の即位から鎌倉幕府の滅亡を描いた第1部(巻1?11)、建武の新政の失敗と南北朝分裂から後醍醐天皇の崩御までが描かれる第2部(巻12?21)、南朝方の怨霊の跋扈による足利幕府内部の混乱を描いた第3部(巻23?40)からなる。前述の「巻22の欠落」であるが、現在伝わっている伝本の中で巻22を立てているものでも内容そのものは巻23?24の記事を使用しているので結論的に巻22は欠巻ということになる。その原因としては、天皇や武家方に対して不都合なことが書かれていたので削除したと考えられているが現在のところはっきりしていない。
全体の構想にあるのが儒教的な大義名分論と君臣論、仏教的因果応報論が基調に有り、宋学の影響を受けたとされる。この考え方にもとづき、後醍醐天皇は作中で徳を欠いた天皇として描かれるが、水戸光圀は修史事業として編纂していた『大日本史』において天皇親政をめざした後醍醐こそ正統な天皇であると主張した。これにより足利尊氏は逆賊であり南朝側の楠木正成や新田義貞などは忠臣として美化され(徳川将軍家は新田氏の末裔を称していた)、これがのちに水戸学として幕末の尊王攘夷運動、さらに太平洋戦争前の皇国史観へと至る。
中盤の後醍醐天皇の死が平清盛の死に相当するなど、随所に『平家物語』からの影響が見られ、また時折本筋を脱線した古典からの引用も多く、脚色も多い。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
作者・成立時期は不詳なんだそうです。
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